2020年8月25日
お知らせ
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人間がこんなに哀しいのに
主よ 海があまりに碧いのです
パライソへつながっているのだと、往時の人々が信じたであろう外海(そとめ)の海。
カトリック黒崎教会での式が終わり、遠藤周作の小説『沈黙』にある有名な言葉を思い出しながら、しばし角力灘(すもうなだ)を眺めました。
今日はすごくいいお天気で、海も空も碧かった!!皆様にも、碧い長崎のおすそ分けです。
聖堂内での撮影は許可が必要です
2020年8月20日
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私たちのまち長崎では、祈りの8月9日が静かに過ぎると、15日には初盆を迎えた御霊を精霊船に乗せて西方浄土に送り出す伝統の仏教行事『精霊流し(しょうろうながし)』が、爆竹や銅鑼の喧騒の中行われます。今年はいつもより規模も小さく静かに行われたようです。宗教は違えど、故人に心寄せ弔うこの伝統行事はいつまでも続いてほしいと願います。
聖堂の朗読台には1年前にはなかったコロナ対策の飛沫防止シートが設置されており、万全の対策の中でごミサが行われていることが伺えます。祭壇の脇にはこれまでの帰天者名簿を据え置くメモリアルスペースがあり、月ごとに信者の皆様が名簿を変えていらっしゃるとのこと。先人を敬う心、故人を想う温かい心がここにもありました。
愛宕教会のステンドグラスはシンプルで可愛らしく、そして聖堂内には『ハイチ絵』という大きなタペストリーが掲げられています。
地球儀を見ると、日本のほぼ真裏に位置する中南米の国・ハイチ共和国。式後に信者さんにお聞きしたところ、こちらのレデンプトリスチン修道会のシスターが以前からハイチで奉仕活動をなさっており、教会もその里親支援に取り組まれるなどハイチとご縁があられるのだとか。現地から送られてきた色鮮やかなタペストリーには、聖書の世界とともに 混沌としたハイチの歴史も垣間見えます。
このたびは、昨年4月に長崎に来られた瀬戸主任神父様から特別に撮影と広報の許可をいただきまして教会の写真をアップさせていただきました。執り行われたご葬儀はとても小さな家族葬で、普段のごミサでは今は聖歌斉唱は取りやめているとのことですが、この日は久しぶりに聖歌が聖堂に響きました。瀬戸主任神父様と教会役員様の温かい心に感謝いたしますとともに、式後、信者の皆様が長椅子はもとより使用された栞の1冊1冊に至るまで丁寧に消毒なさっておられたこともここに記しておきます。大変お世話になり、本当にありがとうございました。
聖堂内での撮影は許可が必要です
2020年8月9日
お知らせ
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今から75年前の昭和20年(1945年)8月9日 午前11時2分、長崎浦上の上空で一発の原子爆弾が炸裂しました。
長崎では毎年この祈りの日にあわせ、朝日に照らされた平和祈念像や浦上天主堂の朝のごミサで祈りを捧げる信者の映像などがテレビ画面に溢れます。その浦上天主堂の中には『被爆マリア小聖堂』という特別な空間があり、そこには『被爆マリア像』が安置されています。この被爆マリア像の復元や小聖堂の祭壇製作には、弊社が大変深く関わらせていただいております。
右頬は想像を絶する熱線により黒く焼け焦げ、眼窩はそのあまりの惨状を見るに忍びなかったのか空洞になっている無原罪の聖母の頭部(通称:被爆マリア像)は、終戦の年の10月末、復員した長崎浦上出身の今は亡き北海道トラピスト修道士・野口神父様により、原爆で焼失した旧天主堂の瓦礫の中から奇跡的に発見されました。
その後長く、故・野口神父様により北海道トラピスト修道院にて大切に守られてきたこのマリア像は、被爆から30年目の昭和50年(1975年)に長崎へと戻され純心短期大学に保管された後、平成2年(1990年)から浦上教会の信徒会館のロビーに展示されていたそうです。
3つに割れ、糸でかろうじて結び留められていた被爆マリア像。指物職人であった弊社会長がその存在を知り、平成12年(2000年)に神父様立会いのもと復元して現在に至ります。
その後、被爆60周年記念としてこの被爆マリア像のための小聖堂の整備計画と並行して、弊社が像を安置する祭壇の製作を拝命。被爆当時の旧祭壇の絵をもとに、当時70歳を過ぎていた弊社会長がカトリック木工職人としてのすべてをかけて陣頭指揮を執り社員一丸となって、ケヤキの生地や木目を生かした祭壇を10カ月ほどで完成させたそうです。
当時、弊社会長がある冊子のインタビューに次のようなことを答えています。『長い間しまわれてきた被爆マリア様がやっと祭壇に安置され、全ての人々の崇敬を受ける場に来られたことがとても嬉しい。長崎にいながら被爆マリア様の存在を全く知らず、それを知ってからの5年間、私はこの被爆マリア像を安置する祭壇をこの手で造るのが夢だった。祭壇を造りなさい、というマリア様の声が私の心には はっきり聞こえました。』
被爆60周年の平成17年(2005年)8月9日、高見大司教様によって祝別された『被爆マリア小聖堂』の壁には、原爆で亡くなった当時の浦上信徒のお名前がお一人お一人、6枚の大きな銅板に彫られています。原爆で亡くなった方々の永遠の安息と世界平和を祈る場として献堂された被爆マリア小聖堂。本日は、浦上教会の久志主任神父様より特別に撮影と広報許可をいただき掲載させていただきます。
あの日消えてしまった全ての御霊に、その後苦しみながら亡くなられた全ての方々、先の大戦で犠牲となられた全ての方々に、8月9日の長崎から静かに祈りを捧げます。
聖堂内での撮影は許可が必要です
2020年8月6日
お知らせ
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祈りの夏、8月が今年も巡ってきました。広島は今日6日が75回目のあの日でした。私たちのまち長崎は 9日に節目の夏を迎えます。今夜は広島の原爆犠牲者の御霊に静かに祈りを捧げたいと思います。
さて今週、SNS担当の私が約半年ぶりに伺いましたのはカトリック大浦教会。世界遺産である大浦天主堂のすぐ下にあります。聖堂前のマリア像の周りには、色とりどりのかわいいマツバボタンが夏の強い日差しに負けじと花を咲かせていました。
大浦天主堂が昭和28年(1953年)に国宝に指定され、また昭和33年(1958年)には隣接するグラバー邸が一般公開されたことで、原爆から立ち上がった長崎市には高度経済成長もあいまって空前の観光ブームが到来し、それに伴い大浦天主堂に替わる祈りの場として昭和50年(1975年)にカトリック大浦教会が献堂されたそうです。1階が信徒会館と司祭館、2階が聖堂となっており、中央祭壇の縦長のステンドグラスがとても印象的です。本日は下口主任神父様に特別に撮影と広報許可をいただきまして、聖堂内の写真もアップさせていただきます!
長崎観光のメッカとして、毎日たくさんの観光客や修学旅行生で賑わっていた大浦教会がある南山手界隈も、コロナ禍の今はさびしい状態が続いています。
一面の焼け野原から、日本有数の観光地へと このまちを再生してくださった先人達のたゆまぬ努力のうえに、私たちの今があります。再びの厳しいご時世ではありますが、先人達の想いを繋ぎ、この石畳みのまちに賑わいが戻る日を信じて、ともに頑張って参りましょう。コロナに負けるな、長崎!コロナに負けるな、日本!
聖堂内での撮影は許可が必要です