お知らせ
日本二十六聖人記念館の元館長でイエズス会修道士の、故 アントニオ・ガルシア様のご葬儀を担当させていただきました。とても気さくで明るく、多くの皆様に慕われ親しまれていた故人様だったことから、私どももこの記事の中では敢えて『ガルシアさん』と呼ばせていただきます。
スペインのご出身で、『原爆で傷ついた人たちのために働きたい』と1950年8月15日に来日されたというガルシアさん。フランシスコ ローマ教皇様とは互いに『友人』と呼び合い、深い絆で結ばれていたそうです。ガルシアさんが教皇様に送った、被爆直後の長崎で撮影された写真『焼き場に立つ少年』は、教皇様のメッセージとともに全世界に向けて発信され、話題になりましたね。
7月10日 午後6時から長崎市西坂町の日本二十六聖人記念聖堂にて行われた通夜の祈りには、記念館や修道会の皆様、カトリック中町教会の信徒の皆さんなど近しい方々のみ約60名が参列。もちろん悲しさもありましたが、聖堂内は不思議と温かく穏やかな空気に包まれていて、それはきっと、ご遺影の中のガルシアさんが見守っていたからかもしれません。
追悼ミサと告別式は翌11日午後4時からカトリック中町教会で執り行われ、中村長崎大司教様、高見名誉大司教様、イエズス会日本管区長レンゾ神父様を始めとした約30名の司祭団を含む250名ほどの皆様が参列。司祭団入堂後、レンゾ神父様がフランシスコ教皇様のメッセージをスペイン語と日本語で伝えられ、その後、追悼ミサが始まりました。
中村大司教様が説教の中で触れておられましたが、ご会葬の皆様の中には神道や仏教の宗教者のお姿もあり、県宗教懇話会の一員として宗教の枠を超え平和を願い活動してきたガルシアさんの交友・人脈の広さが伺えました。
お式の最後には司祭団全員でサルベレジナの奉唱。ご会葬の皆様のガルシアさんへの祈りとともに高らかに天の神様のもとへ届いたことと思います。この後、お棺はガルシアさんが住み慣れた修道院へと一旦戻られ、翌朝もみじ谷葬斎場で火葬が執り行われました。
2018年8月、来日して68年目の夏にガルシアさんは地元・長崎新聞の取材に応え、『平和のために大事なことは、対話だ』と仰ったそうです。『互いに認め合って許すこと。修道院も家族も小さな共同体。身近なところから平和にしないとね』
故 アントニオ・ガルシア修道士様の永遠のご安息をお祈りいたしますとともに、この度、広報許可をいただきましたイエズス会の神父様に心から感謝申し上げます。お世話になりありがとうございました。
⚠️聖堂内の撮影は許可が必要です⚠️