2022年7月31日
お知らせ

早いもので7月も今日で終わりです。今月もたくさんの教会に伺いました。猛暑の中、各教会の典礼役員様や聖歌隊の皆様、お疲れ様でございます。また、いつもあたたかくお声かけいただき本当にありがとうございます!

さて昨日、SNS担当の私が2年2ヶ月ぶりに伺いましたのはカトリック時津(とぎつ)教会。朝8時半に教会に伺うと、敷地内にある教会所有の建物(元 工場)の中から何やら賑やかな声が。声の主はリーゼントヘアでお馴染み、信徒の皆様に絶大な人気を誇る岡主任神父様と子ども達でした(^^)

長い夏休み。時津教会では毎朝のごミサに子ども達が集い、ラジオ体操をしてそのまま教会で勉強タイム。その後はみんなでドッヂビー(ドッヂボールのフリスビー版)の練習をしたり、時にはビニールプールを出して水遊びなど、元気に楽しく過ごしているそうです!

一昨日のお通夜や昨日の葬儀ミサでも子ども達が侍者を務めてくれました。次世代を担う子ども達の居場所と役割を教会の中でしっかりと作ってくださる岡主任神父様。教会の階段の壁には、きっとその子ども達も心を込めて書いたであろう平和への祈りが一面に飾られていました。

式が終わって帰る時、ふと目に留まったのは教会前のぶどう畑。その枝にはぶどうが鈴なりでこれから実も色付こうかというところ。実は時津町のぶどうは県内最大の産地規模を誇っているんだそうです!特に甘みと酸味をほどよく含んだ時津の巨峰は格別なんだとか。

『 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ 』ヨハネによる福音書15章 5節

岡神父様と子ども達の姿に、そんな聖書の言葉を重ねつつ教会を後にしました。時津教会の皆様、この度は大変お世話になりありがとうございました。


⚠️聖堂内の撮影は許可が必要です⚠️

2022年7月26日
お知らせ

お陰様で、弊社会長 西村 勇夫(にしむら いさお)の通夜・葬儀を無事終えました。両日たくさんの皆様にご参列いただき、ともにお祈りいただきまして心から感謝申し上げます!

また、弊社のInstagramやFacebookにもたくさんの温かいコメントをお寄せいただき、本当にありがとうございました!

24日午後7時からの通夜の祈りは、中村長崎大司教様と久志浦上教会主任神父様に司式いただきました。弔問席には数名の神父様のお姿や、地元浦上はもちろん、いつもご葬儀でお世話になっている各小教区の信者さんのお顔もたくさんあって大変心強かったです!また、感染症対策として分散してのご来場をお願いしましたところ、快く応じてくださった皆様方にもこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。

翌25日午前11時からの葬儀ミサ・告別式は、浦上教会の久志主任神父様はじめ25名の司祭団の皆様に司式いただきました。故人が『人生で一番の作品』と常々語っていた被爆マリア小聖堂の祭壇(下記写真)を製作するに当たり深く関わられた平野神父様(現 鹿子前教会)が説教に立たれ、当時の想い出を紐解きながらの有難い時間。『ケヤキの木目を生かした祭壇にしたい。被爆60年に間に合わせたい』という平野神父様の信念を叶えるべく、美しいケヤキ探しから始まり、故人を筆頭に社員全員で取り組んだ祭壇製作の10ヶ月が甦りました。

また、中村大司教様を始め故人ゆかりの皆様から心温まる弔電や生花もたくさん寄せられましたこともここに報告し感謝申し上げます。

告別式の最後は、故人のみならず戦後の日本人に生きる希望を与えてくれた名曲『長崎の鐘』を、ご会葬いただいた皆様全員で歌い見送っていただきました。浦上天主堂の大きなパイプオルガンが奏でるその調べ。特別に許可をいただいた久志主任神父様はじめ、突然のご依頼に対応いただいた聖歌隊の皆様、特にオルガニスト様、本当にありがとうございました!

被爆から77年目の夏、多くの浦上の人々が待つ天国へと旅立った パウロ 西村 勇夫。正に一粒の麦となりましたが、創業者の意志を引き継ぎ、長崎の信者の皆様のために豊かな実りにつなげ、これからも浦上の地で後世まで愛され続ける企業となるよう努めてまいります。今後とも栄光式典社をどうぞよろしくお願いいたします。


⚠️聖堂内の撮影は許可が必要です⚠️

2022年7月24日
お知らせ

弊社 代表取締役会長 西村 勇夫(にしむら いさお)が、7月21日 88才で帰天いたしました。

ここに生前のご厚誼を感謝し、ご通知申し上げます。つきましては、通夜・葬儀を次の通り執り行いますので謹んでお知らせいたします。

■喪 主 西村 美和子(妻)

■通 夜 7月24日(日) 午後7時00分 
     式場:カトリック浦上教会 信徒会館大ホール

■葬 儀 7月25日(月) 午前11時00分
式場:カトリック浦上教会 聖堂

■カトリック浦上教会
〒852-8112 長崎市本尾町1-79
TEL 095-844ー1777

新型コロナウィルス感染拡大予防のため、分散での弔問をお願いしています。故人のためにお祈りいただく方は、恐れ入りますが、可能な限り24日通夜は午後4時~午後6時の間、または午後8時以降に、マスク着用のうえご弔問いただきますようお願いいたします。

2022年7月11日
お知らせ

日本二十六聖人記念館の元館長でイエズス会修道士の、故 アントニオ・ガルシア様のご葬儀を担当させていただきました。とても気さくで明るく、多くの皆様に慕われ親しまれていた故人様だったことから、私どももこの記事の中では敢えて『ガルシアさん』と呼ばせていただきます。

スペインのご出身で、『原爆で傷ついた人たちのために働きたい』と1950年8月15日に来日されたというガルシアさん。フランシスコ ローマ教皇様とは互いに『友人』と呼び合い、深い絆で結ばれていたそうです。ガルシアさんが教皇様に送った、被爆直後の長崎で撮影された写真『焼き場に立つ少年』は、教皇様のメッセージとともに全世界に向けて発信され、話題になりましたね。

7月10日 午後6時から長崎市西坂町の日本二十六聖人記念聖堂にて行われた通夜の祈りには、記念館や修道会の皆様、カトリック中町教会の信徒の皆さんなど近しい方々のみ約60名が参列。もちろん悲しさもありましたが、聖堂内は不思議と温かく穏やかな空気に包まれていて、それはきっと、ご遺影の中のガルシアさんが見守っていたからかもしれません。

追悼ミサと告別式は翌11日午後4時からカトリック中町教会で執り行われ、中村長崎大司教様、高見名誉大司教様、イエズス会日本管区長レンゾ神父様を始めとした約30名の司祭団を含む250名ほどの皆様が参列。司祭団入堂後、レンゾ神父様がフランシスコ教皇様のメッセージをスペイン語と日本語で伝えられ、その後、追悼ミサが始まりました。

中村大司教様が説教の中で触れておられましたが、ご会葬の皆様の中には神道や仏教の宗教者のお姿もあり、県宗教懇話会の一員として宗教の枠を超え平和を願い活動してきたガルシアさんの交友・人脈の広さが伺えました。

お式の最後には司祭団全員でサルベレジナの奉唱。ご会葬の皆様のガルシアさんへの祈りとともに高らかに天の神様のもとへ届いたことと思います。この後、お棺はガルシアさんが住み慣れた修道院へと一旦戻られ、翌朝もみじ谷葬斎場で火葬が執り行われました。

2018年8月、来日して68年目の夏にガルシアさんは地元・長崎新聞の取材に応え、『平和のために大事なことは、対話だ』と仰ったそうです。『互いに認め合って許すこと。修道院も家族も小さな共同体。身近なところから平和にしないとね』

故 アントニオ・ガルシア修道士様の永遠のご安息をお祈りいたしますとともに、この度、広報許可をいただきましたイエズス会の神父様に心から感謝申し上げます。お世話になりありがとうございました。

⚠️聖堂内の撮影は許可が必要です⚠️

2022年7月5日
お知らせ

7月5日。台風4号が接近した長崎市は、市立小中高校の臨時休校が前日から早々と決まったものの、幸いそこまでの雨も風もなく、安堵された方も多かったのではないでしょうか。


そんな中、1年半ぶりに伺いましたのはカトリック大山(おおやま)教会。その名の通りとても山深い場所にあるのですが、台風の影響からか昨日は霧がひどく、緑濃い竹林も白く煙っていました。

13年間の長きにわたり大山教会で司牧され、昨年7月に帰天なさった三村神父様の後を受け主任司祭になられたのは、お隣の小ヶ倉(こがくら)教会の主任司祭も務める辻原神父様。この4月から山田神父様も協力司祭として加わり、信者の皆様とともに新たな歩みを刻まれています。

聖堂の玄関上にあります『絶えざる御助けの聖母』の大きなレリーフがとても印象的なカトリック大山教会。そして、庭先に静かに佇んでおられるマリア像の周りには、紫陽花やサルビアなど、夏の花々が雨に濡れて活き活きと美しく咲いていました。

大山教会の皆様、この度は大変お世話になり、ありがとうございました!


⚠️聖堂内の撮影は許可が必要です⚠️